海外で知る日本の良さ
24歳一人で海外修業の旅に出た私は旅行は修学旅行ぐらいで日本は、生まれたところと、友達のいた北海道札幌市で美容の修業1ヵ月過ごしたこと、その後鹿児島市に行き3ヵ月美容の仕事したあと沖縄に行っただけでした。
海外に行き、宿泊先のユースやペンション、ホテルとうで外人会話する機会が多く、そこで結構日本に行ったことがある外人にあって日本の観光地の話がでる。
知らない観光地の話をされても話は盛り上がらないし、日本人だけど日本を知ららない日本音痴だった。
西欧での美容の修業をあきらめた私は、せっかく来たのだからと西欧諸国を旅してみようとあっちこっち観光地を廻ってました。
ギリシアで知り合った日本人と気が合い中東、中近東は物騒だから一緒に行こうというなってトルコ、レバノン、シリア、イラン、アフガニスタンとバスで通過してきた。アフガニスタンで一緒に来た日本人と別れ、インドへは一人旅に戻った。一人はネパールにむかい、もう一人はインド一周に行った。中東、中近東では日本人の評判はよくどこでも歓迎された。
色々なところを見て旅の面白さに感動した私はこの一人旅依頼、旅がすきになった。
写真でなく、この目で見る初めての場所は、脳に心地よい刺激になる。
台風が近づいていて今日は雨
最近ブログに興味が湧いてきてブログを極めたいといろいろ勉強しています。
我が家は埼玉の日高市にあり、日和田山という305mの山の裾にあります。家は3方山に囲まれた地域にあり南方が開けた視界になります。
仕事は自営業でいろいろやっています。過去もいろいろな仕事をやってきました。
好奇心が旺盛で、気に入ると何でも夢中になりますが、次々に気に入るものが変わります。
父親が中一の時に亡くなって、死について考えさせられ「人はいつか必ず死ぬ」「いつ死んでもいいように後悔のない生き方をしたい」と強く思うようになった。
高校を卒業すると、東京神田の会社に就職したが、親族会社で出世しても課長止まり、わずかな給料でこき使われるのは嫌だと「実力でお金が稼げるセールスマンになろう」と決意し一年で退社。某化粧品のセールスマンになった。セールスの世界は厳しく食えない月日が続いた。しかし、セールスの研修制度が整っていた会社でセールスのイロハを一から叩き込めれ半年後には何とか食っていけるようになった。1年目には成績営業所ではトップになった。
さらに上を目指そうと、メイクや美容の知識を高めようと夜間の美容学校に通った。
だが、美容学校に通っているうちにセールスマンより美容師の方が自分には向いていると思うようになり美容学校卒業と同時に美容院にインターンとして入った。
それから、国家試験に合格して美容師になった。
美容師になったが海外に修業に行きたいと思うようになって、一端止めてバイトに精を出し半年で100万円貯めて海外の修業の旅に出た。
横浜から船に乗ってソ連(現ロシア)のナホトカへ。そしてシベリア鉄道でモスクワ経由で北欧を通ってあこがれのパリ・ロンドンへ。
今日はここまでFIN。